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私はごく普通の一般家庭に生まれた。
父は鳶職で、母は保険会社で働いていた。
怒ると怖かったが、父も母も私と1つ下の妹を十分に愛してくれている、本当にごく普通の家庭だった。
もう記憶も曖昧だが、小学1年生の、確か夏だったと思う。
当時住んでいた家には、ピアノがあった。
私も妹もピアノを少しだけ習っていて、それは母親の意向によるものだった。
だけど、その夏のある日、母が病気だということを知らされた。
母が泣いていたのを覚えている。
事の重大さも分からないけれど、病気と死が直結していた幼い私は、すぐに母がいなくなってしまうのではないかという恐怖からよく分からないまま泣いていた。
ある程度理解力が追いついてから知った事だったが、母の病名は「オリーブ橋小脳萎縮症」というもので、進行性の難病であった。
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人が自分自身を不幸と定義づける時は一体いつであろうか。
乗りたい電車に乗れなかった、好きな人にフラれてしまった、はたまた天気が雨だったとか
生きてきた道のりや環境でその定義づけは人それぞれ異なるだろう。
上手い文章が書けるわけではないけれど、これから私が書くのは自己満足の備忘録だ